久渡寺

護国山観音院久渡寺

宗派 真言宗智山派

ご本尊 聖観世音菩薩、薬師如来

津軽三十三観音霊場 第一番札所

津軽八十八ヵ所霊場 第四十番札所

津軽弘法大師霊場 第六番札所

由緒

延暦年間(782~806)、

坂上田村麻呂将軍が阿闍羅山に、

阿闍羅三千坊の一つ

補陀洛寺(興国寺)として建立しました。

建久二年(1191)、

津軽へ布教に来た唐の僧侶・円智上人が、

阿闍羅三山坊が荒れ果てているのを見ます。

上人は不動尊を古懸(碇ヶ関)、

大日尊を蔵舘(大鰐町)、

聖観音を小沢山に移して

布教の根拠地としました。

慶長十八年(1613)、

小沢村から現在地の坂元村へ移転。

元和五年(1619)、

救渡寺と改称され、

津軽藩の祈願所となります。

寛永十年(1633)、

寺号が久渡寺に改められました。

明治の中期、

第三十一代・高坂清観和尚が

蒙古でラマ教を学習、

土着の神・オシラサマと結び付け

王志羅講を始めます。

以来、

津軽のオシラ講の中心地となりました。

観音堂です。


『補陀洛や

恵みも深き

観世音

罪もむくいも

晴らす宮立』

津軽三十三観音霊場、津軽八十八ヵ所霊場・共通御詠歌

境内にて。

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