陽光院
桜庭山陽光院
宗派 曹洞宗
ご本尊 釈迦牟尼仏
札所本尊 千手観世音菩薩
津軽三十三観音霊場 第二番札所
津軽八十八ヵ所霊場 第五十一番札所
禅林街・津軽三十三ヵ寺 第五番
由緒
天下統一の時代、
桜庭の地(現在の津軽三十三観音霊場
第二番札所・多賀神社のある地域)は、
津軽為信公の籏本・
桜庭太郎左衞門信正の領地でした。
慶長五年(1600)、
信正は津軽為信公の関ヶ原合戦に参加、
同行した長男の左衞門次郎正次を
戦死させてしまいます。
悲しんだ信正は我が子の菩提を弔う為、
領地の桜庭観音堂に私田を寄進し
庵を建立しました。
慶長十五年(1610)、
桜庭太郎左衞門信正が死去、
遺骸が庵に埋葬されます。
跡継ぎの太郎左衞門信光が庵を改め、
寺院・桜庭山陽光院を開きました。
開基は信正とその子正次。
慶長十六年(1611)、
弘前城築城が築城されて
禅林街造成の為、
藩命で現在地に移ります。
明治三年(1872)、
神仏分離令により、
桜庭にあった清水観音が
多賀神社となります。
その為にご本尊の千手観音が
手放される事になり、
当時の住職が桜庭時代のご縁で引き取りました。
禅林街・津軽三十三ヵ寺 第五番
『わが庵(いお)を
はるばるここに
清水の
流れに浮かぶ
法(のり)の月影』
津軽三十三観音霊場 御詠歌
『みやこより
はるばるここに
きよみずの
ながれにうかぶ
のりのつきかげ』
津軽八十八ヵ所霊場 御詠歌
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