錦神社

錦神社

御祭神

藤原泰衡公

由緒

藤原泰衡公(1155~1189)は

父・秀衡公の遺言に従い

源義経さまをかくまいますが、

源頼朝公の圧力に屈し

義経さまを攻め殺してしまいます。

文治五年(1189)、

藤原泰衡公は奥州合戦で

鎌倉政権に敗れました。

泰衡公は源頼朝公から

蝦夷に逃れようと、

家臣の河田治郎さまを頼り

比内の地に立ち寄ります。

(地元の詳しい方によると、

この地に落ち着こうとも

考えていたそうです)

治郎さまは頼朝軍が

攻め入ったように見せかけ、

泰衡公に切腹を

するように仕向けました。

そして泰衡公の首を

岩手県陣ヶ岡の頼朝公に届けますが、

頼朝公は恩を忘れたとして

治郎さまを斬首します。

一方、

村人達は首の無い泰衡公の亡骸を、

錦の直垂(ひたたれ)で包み祀りました。

こちらは平泉・中尊寺より

株分けしていただいた中尊寺ハスです。

中尊寺に保管されていた

泰衡公の首桶から見つかったハスの種を、

植物研究者が1998年に開花させました。

『たのみつる

その木のもとも

吹風の

あらきにつゆの

身やけたれけむ』

菅江真澄

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