西光院
行岳山西光院
宗派 浄土宗
ご本尊 阿弥陀如来
津軽八十八ヵ所霊場 第二十七番札所
由緒
正治二年(1200)、
法然上人の高弟・金光上人は
師の命により、
東国三十三ヵ国の布教の為に
京都を旅立ちました。
承元四年(1210)、
金光上人は津軽外ヶ浜・
蓬田に通りかかり、
夜毎に光る川から
阿弥陀如来像を引き揚げます。
(阿弥陀川由来の伝説です)
上人は阿弥陀像を
背負いながら布教しますが、
当時浄土宗は新興宗教だった為に
梵珠山の修験者と論争になり
土牢に入れられました。
釈放された後は
藤崎城主・安東氏を訪ね、
藤崎を中心に布教します。
建保三年(1215)、
浪岡領主の浪岡兵衛吉六公が
念仏宗に帰依、
草庵が開かれました。
(吉六公は平泉・
藤原泰衡公の子・頼通公で、
縁者の藤崎城主・安東氏の支持て
吉内館跡に居館していました)
建保五年(1217)、
上人は布教の無理がたたって、
六十三歳の生涯を終えます。
残された草庵は後に、
行岳山西光寺と名付けられました。
慶長十五年(1610)、
弘前城築城により津軽藩の命で
西光寺は弘前に移転、
跡地には庵が残されます。
後に浄土宗大本山・
増上寺より許可を得て、
行岳山西光院が再建されました。
『さんぶつの
ちかいをたてし
さいこういん
やいばのぢごく
たとひありとも』
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