蓮乗院

猿賀山蓮乗院

宗派 天台宗

ご本尊 一光三尊来迎阿弥陀如来

津軽八十八ヵ所霊場 第三十四番札所

由緒

延暦十二年(793)、

坂上田村麻呂将軍によって、

猿賀神社が建立されました。

この北奧の地は日本の鬼門として、

政府の方針で叡山三千坊が移されます。

*叡山三千坊は阿闍羅千坊、十三千坊、東獄千坊


阿闍羅千坊に属する猿賀神宮寺十二坊は、

猿賀神社を中心に十二の寺院が配置され

神仏信仰の霊地とされていました。

猿賀山長命院神宮寺を管理寺として、

蓮乗院、明王、正福、東光、多聞、

常住、普門、正覚、善教、花蔵、

宝蔵、地蔵が存在します。

天正十五年(1587)、

津軽為信公によって天台宗の退転と

猿賀山一山の破却が命じられ、

各寺院は荒廃に向かいました。

天和五年(1619)、

津軽二代藩主・信牧公により

天台宗が復帰され、

神宮寺、蓮乗院、東光、明王、

正福の寺院に寄進します。

しかし他の八寺には

寄進されなかったので、

維持が困難になり廃寺となりました。

正徳年間(1711~1716)、

火災により本堂が焼失。

享保元年(1716)、

本堂が再建されます。

『さるかわの

かねのひびきに

ゆめさめて

はすのうてなに

のるぞうれしき』

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