義経寺
龍馬山義経寺
宗派 浄土宗
ご本尊 聖観世音菩薩
津軽三十三観音霊場 第十九番札所
津軽八十八ヵ所霊場 第十五番札所
由緒
文治五年(1189)、
源義経は衣川の館で自刀しました。
しかし伝説では難を逃れ、
鵜鳥神社、八戸・高館(小田)八幡宮をへて、
三沢、六ヶ所村、 津軽へ向かいます。
この地に着き蝦夷(北海道)へ
渡ろうとしますが、
海が荒れて渡れませんでした。
そこで岩上に白銀の持念仏を奉安、
三日三晩祈願します。
満願の日になり
白髪の老人が現れ、
三頭の龍馬(戦舟)を
与える事を告げられました。
翌朝、
三つの岩屋に繋がれている龍馬を発見。
海も穏やかになっていたので、
早速蝦夷に渡ったと伝えられます。
寛文七年(1667)、
円空が諸国を巡り
この地に訪れます。
岩上に光る物があったので登り、
白銀の観音像を発見しました。
その夜、
円空はどのように義経が
蝦夷に渡ったのかを夢で知りました。
円空は流木を拾い観音像を刻み、
胎内に白銀の観音像を納めます。
そして草庵(真言宗・龍馬山観音堂)をむすび、
観音像を安置しました。
安政二年(1855)、
厩石の麓から現在地に移転。
明治初期、
神仏分離令により廃寺の対象になりますが、
本覚寺より檀家を分けてもらい
浄土宗・龍馬山義経寺に改宗改称し
現在に到ります。
『陸奥(みちのく)の
いわれをここに
来て三馬屋(みまや)
波打ちぎわに
駒ぞ勇める』
津軽三十三観音霊場・津軽八十八ヵ所霊場
共通御詠歌
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